MORYO通信 ~Urbs Communication~

本を読んで勝手にいろいろ言います

寒い夜、寒い小説、ないものねだり 『きっと君は泣く、ブルーもしくはブルー 著 山本文緒』

生まれてこの方暖房が苦手で、冬はもっぱら厚着をするだけで過ごしている。

北国暮らしではないのだが、夜や朝はやはり冷える。特に指先は相当冷たくなっていることが多い。でも、その冷え切った指先を、自らの体温で温めている瞬間、生きていると感じる。私はその瞬間がたまらなく好きなのだ。

 

それは小説に関しても同じことで、心の奥をすっ、と冷やしてくれるような作品も多い。それはあからさまにホラーを描いて、恐怖でゾクゾクさせる作品ということではなく、人間の持つ心の冷たさが克明に描かれている作品のことである。

 

そういった寒さを感じる小説は多々あるけれど、私は山本文緒先生の作品を読んでいるとき、もっとも心が冷たくなると感じる。

 

特に『きっと君は泣く』では、人間の冷えた心を存分に見ることができる(もちろん作中には温かみを持った登場人物もいる)。

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こちらの作品では、美人に生まれた主人公の、自らは恵まれていると自覚をしながらも、なぜか生きづらさを感じる、という心情が書かれている。

彼女の周囲にいる人間はほとんど彼女に冷たく接する。可哀想とも思うけれど、金目的で男に色目を使う姿などを見れば、自業自得とも思えてしまう。

そう思えてしまう自分におそろしくなる。自らが人間にこんなにも冷たい感情を持てるのかと気付いて、ゾッとする。そして、自らに感情があることに気付いて、また私の心は温めなおされるのである。

 

また、どれだけ恵まれた環境にいても、まだどこか心に寂しさを覚えている主人公を見ると、結局人間はないものねだりをしてしまう生き物なのかもしれないと思う。

この作品に出てくる人物たちは皆一様に、他人から見れば充足しているように見えるのに、自分に何かが足りないような心持ちでいる。誰かに羨まれている人間も、誰かを羨んでいるのだ。

 

「ないものねだり」で言えば『ブルーもしくはブルー』が最もわかりやすいだろう。

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本作品は、ある日主人公が自らと全く同じ容姿の人間(実際はドッペルゲンガーであり、あるタイミングで生まれたもう一人の自分という設定)と突然出会い、お互いに入れ替わって生活を始める、というストーリーである。

 

こちらも先ほどの作品と同じで、充足しているように周りが思っても、本人はそう思っていない人物に焦点が当てられている。この作品ではそのあたりがもっと直接的で、お互いにもう一人の自分が歩んでいる人生を羨み、入れ替わって生活をすることになる。

実際に生活することで、主人公が恵まれた環境にいたことに気付く描写などは、読んでいる人からしたら、「そりゃそうだろう」としか思えないのだろうけれど、自分自身がもしこのような状況になったら……と思うと、なかなか頭ごなしに主人公を批判などできない。

 

私も恵まれた人間であると思う。幸いなことに日本では外出しても殺される心配なんかほとんどないし、衣食住に不満を持つことなど皆無である。

それでも、もっとお金が欲しいと思うし、承認欲求だってある。結局はないものねだりなのだ。

しかし、山本先生の作品に触れることで、ある程度そういった欲求をセーブすることができる。彼女の作品に出てくる多くの人間は、ある視点から見れば幸せであるけれど、ある視点から見れば不幸な人物が多い。こういった人間を見ることで、自分もまた自らを俯瞰して、幸せである点と不幸である点を確かめ、自らが持つ欲求が過大なものかどうかをある程度判断することがきるのだ。まったくもって、氏の作品には敬服するよりほかない。

 

 

さて、山本文緒先生は長編も素晴らしいけれど、短編も非常に優れている。もしも興味がある方ならば、直木賞にも選ばれた『プラナリア』などから入ってみればいいのではないだろうか。

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もちろん、彼女の作品はある種陰鬱な雰囲気があるので、苦手な方もおられると思う。そういった点でも、短編から読むことを私はお薦めしたい。

 

 

私は著者の作品が大好きなのだが、まだ著作のうちの半分程度しか読めていない。でも、それでいいのだ。こんなに素敵な作品群を焦って読んだら、生きる楽しみが少なくなってしまうのだから。

今日もまた冷えた指先と心を温めながら、ページを捲る。私はこの瞬間がたまらなく好きなのだ。

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