MORYO通信 ~Urbs Communication~

本を読んで勝手にいろいろ言います

ジョー・力一 光って消える、ただそれだけと知りながら 『火花 著 又吉直樹』

本記事は一部又吉直樹著『火花』のネタバレを含んでいます。ネタバレを不快に感じる方は、ブラウザバックしていただきますよう勝手ながらお願い申し上げます。

 

ジョー・力一というバーチャルYouTuberがいる。

にじさんじに所属するライバーの一人で、職業はピエロである。名前からしてふざけた人間だということはわかると思うのだが、事実彼は「おふざけ、面白さ」を追求することが生きがいの、根っからの道化師なのである。

 

そんな力一氏だが、現在登録者数19万人を超えており、今年5月にはにじさんじ内のライバー6人で構成されたユニット「Rain Drops」の一員としてメジャーデビューを果たしている。


【3Dお披露目】力一杯、動くピエロ【#りきいち3D】

勢いそのままに6月には3Dお披露目配信を行い、笑いあり感動ありのステージを披露してくれた。

 

さて、彼はこのようにVtuberという業界の中で大いに活躍をしているわけだが、ここにたどり着くまでに紆余曲折があったのもまた事実である。

基本的に彼はプライベートな部分を積極的には見せようとせず、その生活は謎に包まれている部分が多い。しかし、以前彼が行った「マジの夜勤事件」(リスナーから過去に夜勤で体験した事件を送ってもらい、自身が夜勤をしていた頃のエピソードと併せて紹介していく配信)や普段の雑談配信などから、どのような暮らしを送ってきたか、ぼんやりとした輪郭をとらえることはできる。

それを辿っていくと、もう若いとも言えないのに、夢を追い、辛酸を嘗め、日陰で全く面白さの欠片もない暮らしをしていた一人の男の姿が見えてくる。

 

芸事に従事する者はいつの時代もいるわけだが、全員が全員キラキラしたしたステージの裏で、同じように輝きに溢れる生活を送っているわけではない。ステージで明るく振舞って道化を演じてみても、その裏では歯を食いしばりながら生きている者の方が、圧倒的に多いと言える。おそらく、力一氏もその一人だったはずだ。

 

そんな風に力一氏の辿ってきた境遇に思いを馳せてみると、『火花』に登場する芸人の姿とどこか重なる部分がある。

本作はお笑いコンビ、ピースの又吉直樹氏の著作であり、芥川賞も受賞した。現代純文学の中において、知らぬ者はいないと言っても過言ではない作品だろう。

 

一応、知らない方のためにあらすじを軽く説明しておこう。本作の主人公徳永は、まだ売れていないお笑い芸人だ。彼は営業先で出会った先輩芸人神谷の型破りな姿に惹かれ、弟子にしてくれるよう志願する。神谷は「俺の伝記を書く」という条件を付けた上でそれを許可し、二人はよく付き合うようになっていく。

 

本作で特に印象的だったのは、徳永と神谷が言い合いをするシーンだ。

徳永は少しずつ活躍の場を広げ、テレビに出演するまでになっていた。徳永はあるとき自らが出演した番組を神谷とその彼女の部屋で一緒に見ることになるのだが、神谷はその番組を見て、「もっと徳永の好きなように面白いことをやれ」「徳永だったらもっと面白いことができるのに」と言うのだった。

「自分がやりたい面白さ」と「周囲が求める面白さ」の中で、どちらにもなりきれないということが最大の悩みだった徳永にとって、この発言は重く胸に響く。前者を突き詰めて売れないままの神谷、後者でうまく立ち回る周りの芸人たち。そのはざまにいた徳永は、「だったらあんたがテレビに出て、面白いことをやればいい」という言葉を神谷に投げかけてしまうのだった。

 

力一氏もまた、自らがやりたい「面白さ」を追求していった結果、前述のような暮らしに陥っていたという過去がある。力一氏はにじさんじという場所でその才能をいかんなく発揮させられているが、一歩間違えれば徳永のように軸がブレてしまった人生や、神谷のように日の目を浴びることのない人生を送ることになっていたのかもしれない。

このように芸人の日陰の姿を描いた『火花』、力一氏のファンにとってもなかなか興味深いものになっているのではないだろうか。

 

また、私が注目したいのは本作のタイトル『火花』である。

このタイトルについてもさまざまな議論がされている。芥川賞の選考委員をつとめた山田詠美氏は「主人公と先輩の関係が火花を散らすよう」と評した。ほかにも、花火大会に呼ばれた芸人が漫才をするものの、観客は芸人たちよりも花火の方に関心を寄せているという冒頭のシーンの対比として、芸人は花火に比べてしまえば火花のようなものでしかない、という意味だとする意見もある。また、ラストシーンも花火大会であることから、それに結びつけて考える意見も多くある。

ただ、私は「小さな火花のような存在である主人公たちを模した」までは同意するのだが、これらと同じ意見は抱かなかった。

 

私は『火花』というタイトルに、「遠くから見れば気が付かないような小さな光でも、それに気付き、近くから見る者にとっては何ものにも代えられぬ美しい輝きとなる」という意味が込められているのではないか? と考えた。

 

本作中では徳永のコンビが解散するニュースに対し、「どうでもいい」「誰?」といったコメントが多くされるというシーンが登場するのだが、その中にもいくつか温かいコメントがあったと書かれている。そのようなコメントをした者たちにとって、彼らは一瞬の火花としか言えない存在だったろうか。いや、それこそ大輪の花火だったのかもしれない。見る人によって、その光彩は姿かたちを変えていくのだ。

もちろん、これについては違った考え方もあることと思う。しかし、ひとつのことに対してさまざまな捉え方ができるのが純文学の良いところだ。皆様もぜひ本作を読んでみて、自分なりに『火花』の意味を探してみてはいかがだろうか。

 

 

最後になるが、力一氏と同じくにじさんじ所属舞元啓介氏がパーソナリティを務めるラジオ舞元力一から公式グッズが現在販売中である。興味のある方はBOOTHにて詳細をチェックしてみるといいだろう。

 

現在インターネットを通じて我々に数々の感動と笑いを届けてくれる力一氏。それはもしかすると、まったく興味のないような人間にとっては、小さな火花のような存在なのかもしれない。彼がいきなり引退したところで、そういった人たちは何の関心も抱かないことだろう。

しかし、彼のファンにとってみれば、まったくそんなことはないはずだ。

いつか消えゆく火花だとしても。その光彩の残像は、いつまでも見た者の心に焼き付いて離れない。

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