MORYO通信 ~Urbs Communication~

本を読んで勝手にいろいろ言います

ケリン 爆発オチの持つ魅力とは『檸檬 著 梶井基次郎』

爆発オチ、というのは誰が最初に始めたのだろうか。

数年前までのFNS27時間テレビではビートたけし扮する火薬田ドンが、一通りブラックジョークを読み上げたあと花火を打ち上げようとして失敗、爆発して黒コゲになってしまうネタを披露していた。お笑いの大御所でも面白いとしてネタに組み込む爆発オチ。なぜ人は爆発に魅力を感じるのだろう。

2000年代ではコロコロコミックで連載されていた『絶体絶命でんぢゃらすじーさん』が爆発オチをふんだんに利用し子供たちの爆笑をかっさらっていたことは請け合いである。大人になった今でもなぜだか笑えてしまう。なぜか爆発はべらぼうに面白いのだ。

 

そんな爆発オチだが、ただ単に「面白い」と捉えるものが大多数の中に、一つだけ例外が存在する。

 

「ニコニコ本社爆破オチ」である。

 

2010年代、ニコニコ動画は爆発オチの主戦場となる。「人類滅亡シリーズ」という、隕石が地球に墜落する映像を、ドリフターズがコントで使うBGMとともに動画のオチとして流す動画が一時期ブームになった。そして、ある時期を境に、ニコニコ本社を動画のオチとして爆破させる動画が数多く作られるようになった。

これは、前者が従来のように「面白い」だけの爆発オチなのに対して、後者はどちらかと言えば「スカっとする」爆発オチなのだ。実際、当時ニコニコ運営は利用者からヘイトを集めており、ニコニコ本社を爆発させることで留飲を下げていた利用者も多くいることと思われる。

 

さて、タイトルにもあるヤミクモケリン氏は、自らの動画のオチで頻繁にニコニコ動画を爆発させているダークエルフバーチャルYouTuberである。主に時事ネタやデビルマン、コンギョといったニコニコ発のネタをふんだんに盛り込んだ短編動画投稿を主な活動としていて、キズナアイ氏を擁するupd8に参加している。

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こちらの動画ではケリン氏が、にじさんじ所属える氏に配信でお便りを読まれ、感動のあまりミサイルを連射。クラブ等を爆破したのち、自らもミサイルに乗ってエルフの森へ向かおうとするも、ララガーデン春日部に到着してしまう。埼玉県民Vtuber春日部つくし氏にはじき返され、最終的にニコニコ本社にたどり着き、爆破する、というオチになっている。

一見すると内容が破天荒のように見えるが、文字に起こしてみるとボーボボよりわかりやすいので、ボーボボを理解できなかった方でも楽しめるのではないだろうか。

 

しかし彼はニコニコ本社を「利用者のために〇〇を改善しろ」や「期待に応えろ」という意味合いで爆破しているとはあまり考えられず、単に「面白い」から爆発させているのだと思う。

 

「ニコニコ本社を爆発させるオチ」は、10年代が後半に突入していくと共に、徐々に形骸化していっている。最初はヘイトを集めていたニコニコ運営だが、それは期待の裏返しでもあった。しかし現在ニコニコ動画は登録者数が右肩下がりとなり、面白い人材も他のプラットフォームに移動してしまい、もはやヘイトを集めるほどの力はない。

もう今となってはニコニコ本社が爆発しても「スカっとする」と心の底から思う人間は絶滅したといっても過言ではない。

 

未だにニコニコ本社を爆発させるオチの動画は、ケリン氏のものに限らず多く見られるが、それは「爆発オチ」の持つ面白さが相当なウエイトを占めているからだと考えられる(単純にオチをつけるのが楽、というのもあると思うが)。

 

ニコニコ本社の爆発はなぜ当時「スカっとする」と感じられたのかと言えば、これは多くの人々が持っている破壊衝動の疑似的実現をしているからであろう。

ゲームでうまくいかないときにコントローラーを投げたくなったり、台を殴る、いわゆる台パンをしたくなる方も多かろうと思う。人はうまくいかない苛立ちを何かに転嫁してぶつけることによって留飲を下げたいという欲を持っている。

ニコニコ動画に対してフラストレーションを貯めていた当時の利用者たちは、その苛立ちを「ニコニコ本社が爆発しているさま」を動画で見ることに転嫁して留飲を下げていたのだ。

 

 

ところで、今はこうして動画等で疑似的に爆発させることができるが、それができない時代はどうだったのだろう。例えば、雑貨屋を木っ端微塵にしたいとき……。

 

そう、皆さんも一度は読んだことがあるのではないだろうか、梶井基次郎檸檬』で、その詳細の一端を知ることができる。

www.shinchosha.co.jp

梶井基次郎は「爆発」に自らの持つ破壊衝動の解決を求めた第一人者かもしれない。多くの方が目にしたことのある彼の代表作『檸檬』は、当記事の比にならないほど、彼(あるいは主人公)の感じるフラストレーションと、その解消を「爆発」に求めるまでの心情が綴られている。

 

あらすじを軽く説明しよう。

主人公は「不吉の塊」に胸中を支配され、もはや好きな音楽や詩や、通っていた雑貨屋丸善でさえ彼の心を癒すことは叶わなくなってしまっていた。

ある日、主人公は果物屋でレモンを気に入り、一つ買って幸福な気分になる。その後丸善に行くのだが、また憂鬱な気持ちになってしまい、画集を見ても癒されず、机の上に画集を置いていく。積み上がった画集を眺めていると、主人公は一つアイデアを思いつき、画集を崩しては積み上げ、崩しては積み上げ、最後にレモンを画集の上に乗せる。

それをそのままに外へ出た主人公は、もしもあのレモンが爆弾だったら、気詰まりな丸善も木っ端微塵だろうと想像し愉快な気分に浸るのである。

 

やはり『檸檬』はラストが素晴らしいと感じる。決して丸善は火災や地震などで崩れるのではなく、爆発しなければならないのだ。爆発するから愉快なのである。

それから京極を下っていく描写がいい。ラストでワクワクさせられるのは、この作品のスーパーすごいところの一つだ。

 

そして、ラストシーンは前述のニコニコ本社爆破動画に利用者が愉快な気持ちになるものと重なる部分があるのではないだろうか。人間が爆発に求める「不快な対象を破壊して溜飲を下げさせてくれる」という効用は、この時代から変わっていないと考えられる。

 

今の時代に梶井基次郎が生まれたならば、ニコニコ本社爆破オチに「やったぜ。」とコメントを打つ若者に育っていたのかもしれない。

 

他にも梶井基次郎デカダンス(退廃主義)色の強い作品を多く発表しており、どれも梶井の持つ感性が遺憾なく発揮されたものであるので、ぜひ単行本で他の作品も読んでいただきたい。青空文庫にも無料で読める作品は多いので、そちらでも何卒。

 

あと、『檸檬』の文庫本を持ち歩いていると、なんとなく上機嫌になる。いったい私はあの『檸檬』が好きだ。何年か前の、新潮文庫の、夏の限定カバーの檸檬が好きだ。主人公にとってのレモンと、私にとっての文庫本『檸檬』はどこか似ている。私は蔵書をゴチャゴチャと積み上げてしまうことが多いのだけど、この檸檬の文庫本さえ上に置いてしまえば、なんだかデザインがキリっと引き締まったように見えるのだ(勘違いなのでさっさと片づけた方がよい)。

 

最後に、ケリン氏は本記事にも掲載したような短編動画を多数上げている。すべて視聴しても、長編映画一本程度の長さなので、ぜひ隙間時間や休みの日に見て、いまだにニコニコ動画へ不満を持つ方はそこで留飲を下げていただきたい。

2020年も、ぶちとばしていけ。

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