MORYO通信 ~Urbs Communication~

本を読んで勝手にいろいろ言います

でびっち一周忌 追悼特別番組に見た、でびでび・でびるの真骨頂 『メドゥサ、鏡をごらん 著 井上夢人』

鬼才、でびでび・でびる。

noteで映画や小説のレビューをしたり、「悪夢組」というユニットを組んで独特な世界感の動画をアップしたりと、以前からでびる氏はその才の片鱗を見せていた。しかしそれは氷山の一角に過ぎなかった。

2月7日23時。その真骨頂を我々は見ることとなる。

 

 

ことの発端は、でびる氏のファーストチャンネルの収益化が、かなりの期間審査を通らなかったことから始まる。その結果として、でびる氏は運営のいちからと相談の上セカンドチャンネル(現在の本チャンネル)を開設することになった。

そして、セカンドチャンネルでの初配信。2019年2月7日に行われたそれは、なんと萌え声生主「でびっち」が雑談配信をする、という内容のものであった。


でびっちの初配信~まったり雑談(*´ω`)~

こちらの配信はニコニコ生放送における「凸待ち」「親フラ」「彼氏バレ」などの文化を再現し、インターネット老人会の方々は思い出を刺激され、一部の方は黒歴史を刺激される内容になっている。この配信はかなりの好評を博し、切り抜き等も多数上げられている。

しかし、「でびっち」なる存在はこの一夜限りで姿を消してしまった。

 

それから月日は流れ、2020年2月6日。突如として、でびっち一周忌追悼番組を行う、というアナウンスがなされたのである。


23時開演でびっち一周忌 追悼特別番組

序盤は独特なタッチの絵が使われていたり、同業者からの追悼メッセージ(笑)を流したりと、ただの面白バラエティ枠だと思っていたのだが、突如でびる氏のもとに、死んだはずの……いや、存在自体しないはずのでびっちからスカイプの着信が入る。

でびる氏はスカイプを受け、でびっちと掛け合いを始めるのだが、はじめのうちはこれも一種のバラエティのようなものだろうと思っていた。皆様もそうだったのではないだろうか。

しかし、なんだか様子がおかしい。でびる氏は茶化すわけでもなく、困惑した様子で配信は進んでいく。

 

そして、誰かが気が付いた。現在使われているはずのない1stチャンネルで、でびっちによって配信が行われている……。

 
【萌え声雑談】でびっちのまたーり雑談(*´ω`*)【凸受け付けてまセン】

序盤はタイトル通り、テンプレみたいな萌え声生主の雑談配信が行われているのだが、配信中に「でびっち追悼配信」を発見したでびっちは、でびる氏に凸(通話をかけること)を始める。

それは、追悼配信にスカイプ通話がかけられたのとまったく同じタイミングだった。どちらの配信にもお互いの声が乗っており、本当にリアルタイムで通話していることがわかる。

 

最終的に、追悼配信の方では、でびる氏が「なんとなくどういうことかわかった」と言ってでびっちからの通話を切断し、そのまま配信を終了させた。「たまたまつながった」や「扉を閉じた」等の発言はあったものの、特に「どういうことか」を視聴者に説明することはなかった。

一方、でびっちの雑談配信では……この先は、皆様の目で確認していただきたい。

 

 

非常に手の込んだエンターテイメントではないだろうか。リスナーの中でもこの配信についての評価は高く、月ノ美兎氏の「百物語」以来の神配信だという声も多い。

ただ、この配信で起こった一連の出来事を「演出」と呼ぶのは些か無粋、いや、間違っているとさえいえる。なぜならでびる氏は悪魔である。悪魔だから、あくまで普通に対応しただけなのだ。バックボーンには踏み込まず、提供されたものだけに感嘆するというのが、エンターテイメントに対する礼儀というものだ。 

 

さて、やはりこの配信の肝となるのは、「不安感による恐怖」であろう。すべてを説明せず、ただ内々にすべてが解決され、でびる氏は何事もなかったかのようにケロっとした顔で配信を終えた。

 

でびっちは実在するのか? でびっちはでびる氏が作り出したのか? わからない。

答えはない。視聴後に残るのは、一体何が起こったのか? という、漠然とした不安である。この不安こそが「でびっち追悼配信」でかなりのウエイトを占める魅力であろう。

 

漠然とした不安……そう、フィクションと現実の境界線がわからなくなるような恐怖を煽る作品が、この世にはある。

 

井上夢人著『メドゥサ、鏡をごらん』である。

bookclub.kodansha.co.jp

あらすじを簡単に説明する。

作家・藤井陽造は、コンクリートの中に塗り固められ、死亡した姿で発見される。傍らに〈メドゥサを見た〉と記したメモが遺されており、娘とその婚約者である「私」は、異様な死の謎を解くため、藤井が死ぬ直前に書いていた原稿を探し始めるのだが、次々と不可解なことが起こり始める……。

この作品について、多くを語ることはできない。皆様には、でびる氏の配信と同じように、その目でこの不可解な現象たちと向き合っていただきたい。

 

読み終えてもすっきりしない。モヤモヤとした感情が残り、どうにか説明をつけてみようとするけれども、あまりにも提供される材料が少ないため、すべての説は推論の域を出ない。

 

どこまでが現実なのか? どこからが空想なのか? あるいは、はじめからすべて空想の中にいたのか? もしくは、すべてが現実なのか。

このような、「漠然とした不安感」を狙って出すことは難しい。人間という存在は往々にして説明をしたがり、結論を出したがる。それは言葉を扱う小説家ではなおさらで、ゆえにこの手の作品を描く井上夢人先生にはまったく敬服せざるを得ない。

 

また、他にも井上夢人氏は『ダレカガナカニイル…』や岡嶋二人名義で出版された『クラインの壺』など、この手の不安感を煽る作品を数多く出されている。「でびっち追悼配信」の世界観が好きだという方は、併せてそちらも手に取っていただきたい。

bookclub.kodansha.co.jp

www.shinchosha.co.jp

 

『メドゥサ、鏡をごらん』にしても、「でびっち追悼配信」にしても、考察の余地は尽きない。しかし、こういったものは、明確な答えが出てしまった瞬間に、その魅力はほとんど0になる。オーパーツやミステリーサークルも真実が明らかになって、結果、魅力を感じる人は大幅に減った。

「私は完璧を嫌悪する。完璧であれば、それ以上は無い。そこに創造の余地は無く、それは知恵も才能も立ち入る隙がないと言う事だ」

これは久保帯人著『BLEACH』に登場する涅マユリのセリフであるが、まさにその通りで、考察しているうちが、もっとも楽しく面白いのである。

そんなに全てをすっきり解決させたい人たちは本格ミステリでも読んでおけばいいのだ。井上夢人氏も、ミステリを書いているつもりがないのにもかかわらず、本格ミステリファンに「トリックが弱い」などと言われたことに辟易されている(著者のホームページを参照)。

 

これからも、井上氏の作品や「でびっち追悼配信」について多くの推論が生みだされるであろう。しかし、その推論に正否を付ける人間などいない。

もちろん、自らの立てた推論について他者と議論を交わすなど、そういった楽しみ方もあるだろう。

ぜひ皆さんも、自分なりに「でびっち追悼配信」や『メドゥサ、鏡をごらん』に対しての推論を立てて楽しんでいただければと思う。

 

悪魔が来たりて笛を吹く。でびっち来たりて凸をする。

2月7日。開かれてしまった異界の門に見た、でびでび・でびるの真骨頂。

しかして異界の扉は、常に我々の目の前に存在するのかもしれない。

 

 

最後になるが、でびる氏はそのビジュアルと酒に著しく弱いエピソードから、「酒コアラ」と呼ばれることがしばしばある。本人としてはそう呼ばれるのが不愉快なようで、自らをコアラではないと言わせるがため、オーストラリア火災に対して募金を行い、かつ周囲にも募金を行うよう呼び掛けている。今回の配信を見て、でびる氏に畏敬の念を感じた方は、こちらに支援をしてみてはいかがだろうか。

www.youtube.com

 

//上に戻るボタン