MORYO通信 ~Urbs Communication~

本を読んで勝手にいろいろ言います

バーチャル書家・ぴろぱる 書道は自由で、楽しく、無限だ。 『ばらかもん 著 ヨシノサツキ』

昔、書道をやっていた。

物心がつく前から毛筆で文字を書かされていて、高校を卒業する前には師範の免許を取った。英検や漢検のようなスキルを持っていない私は、この書道師範の資格に何度救われてきたか知れない。そういった点で、私は書道というものに感謝している。しかしもう何年も前に、私は書道を辞めてしまった。その理由については後述させていただきたい。

 

私の経験上、書道というものは日本の伝統文化の中では最も触れやすいものであるように思う。華道や茶道と比べても使う道具や環境の用意がしやすく、費用もそこまでかからない。現に小学生の習い事としては定番のイメージがある。

しかしその人気というものはあまり高いとは言えない。正直、学生時代に書道の授業が好きだった人はそう多くはないのではないか。全然うまく書けないし、そのくせ字の上手さだけで成績をつけられて内申点は下がるし、準備片付けも面倒くさい。

そのイメージも手伝っているのだろうか、現在の書道人口は年々減少の一途を辿っており、特に学生以上となるとその数は大きく減ってしまう。それも書き初めしかしないという人を含めての数で、日常的に筆を取る人はほとんどいないと言っても過言ではないだろう。

 

そんな書道不況の現代でも、書道を軸として活動を行っているバーチャルYouTuberが存在する。

バーチャル書家のぴろぱる氏だ。

 

ぴろぱる氏は書家として自身が揮毫した文字を他クリエイターに提供するほか、マルチクリエイターとしても活動している。動画制作や音楽制作などに携わっており、本人が登場しないところでも彼の名前を目にする機会は多い。

本人のチャンネルではゲーム実況やコラボ雑談のほか、歌ってみた動画が多く投稿されている。彼の歌ってみた動画は動画内の歌詞をすべて自筆で書いているものがほとんどであり、それが大きな特徴であると言えるだろう。中には、バーチャル書道として自身のアバターで歌詞をしたためる様子を使用しているものもあり、その姿は書道パフォーマンス甲子園を彷彿とさせる。


【ばらかもんOP】「らしさ/SUPER BEAVER」をガチ書家が歌ってみた【ぴろぱる】

主にアニメソングのカバーを中心に動画を投稿しているのだが、一つおすすめのものをピックアップするとすれば上記のSUPER BEAVER『らしさ』のカバーであろう。「自分らしさってなんだ?」という歌い出しから始まる強いメッセージ性の歌詞を、ぴろぱる氏の力強い歌声とその筆致でよく表せていると感じる。

 

さて、この『らしさ』という曲だが、ぴろぱる氏と同じく書家の主人公が登場する漫画作品『ばらかもん』のアニメ主題歌になっている。

都会暮らしだった主人公が田舎の島で暮らす日常を描いた作品なのだが、「自分らしさってなんだ?」という歌詞の通り、書家としての自己のアイデンティティと向き合う主人公の姿が本作の大きなテーマとして描かれている。

書家である半田清舟は自身の書を酷評した書道展示館の館長を殴り飛ばしてしまい、父親に長崎・五島列島のとある島に送られてしまう、というところからこの物語は始まる。そして半田は島民との触れあいや大自然の中で、自身の欠けていた部分にだんだんと気づき成長していく。

 

この作品のキーワードは、1話の終盤で半田が書いた「楽」という文字、つまり「楽しむ」ということであろう。そしてそれはそのまま、書道全体のキーワードになっているとも言える。

冒頭で登場する、半田を激高させた館長の言葉を要約すると、「賞を取るために書かれたような型に嵌った書で、実につまらない字である」というものだ。このような言われ方をしてしまえば、確かに怒りたくもなるだろう。しかしこの言葉の真意は「書道というものはもっと自由で、楽しめるものであるべきだ」ということではないだろうか。

はっきり言って、ただ綺麗な文字は修練をすれば誰でも書けるものなのだ。書家として大切なのは、そこから先のオリジナリティやアイデンティティであると私は考えている。館長の言う通り、「型に嵌った字」ではいけないのだ。

自身が楽しいと思うもの、見た人が楽しいと思えるもの。それ以外でもいいが、やはり怒りや悲しみという感情よりも「楽しい」という感情がもっとも好ましく思う。そして鑑賞者の感情を揺さぶるためには自身の感情を書に乗せなければならず、そのためには書家自身が楽しいという感情を持って書に臨むことが大事になってくる。

 

しかし自由で楽しい書道と言っても、冒頭で述べた退屈で面倒というイメージが先行してしまっていると、どうしてもピンとこない方も多かろうと思う。

書道は修練の対象であることは間違いなく、あるレベルまで達するにはひたすら反復練習の繰り返しで、それは確かにつまらないものかもしれない。しかし、ある一定の基礎部分さえ固めてしまえば、そこからは自身の好きなように筆を動かせるようになる。ギターやピアノと同じようなものだと思ってもらえればわかりやすいだろう。これらと同じくらい書道は自由なものであり、無限の可能性を秘めたものであるのだ。

 

時に、私がなぜ書道を辞めたのかと言えば、『ばらかもん』の半田とは別方向に指導者との折り合いがつかなかったからである。私が師事していた書家は自らの属する流派以外の書道を邪なものとして認めず、そこには自由も楽しさもなかった。門下である私は当然その教えを強制されたのだが、結局それに耐えられず書道それ自体から離れ、結果としてその楽しさごと私は忘れてしまっていた。

しかし、バーチャル×書道という、斬新な試みで書道というものを発信してくれるぴろぱる氏のおかげで、もう一度筆を持ってみようかという気にもなってきている。私は彼の動画から、まさに書道の自由さ、楽しさ、無限の可能性を見出し、少しばかりの勇気を貰うことができた。勝手ながらこの場を借りて感謝を申し上げたい。

ぴろぱるさん、ありがとう。

 

 

 

最後になるが、ぴろぱる氏は自身のTwitterYouTubeチャンネルで『いいねじゃなくてリツイートしてよ』という曲を発表されている。

クリエイターたるもの、名前を売る、知ってもらうというのがもっとも利益につながる部分だ。ゆえに、ただ「いいね」と思うだけでなく、その「いいね」という感情を周囲と共有してほしいというのは当然であろう。なので同じようにこの記事も、「いいね」と思ったのなら、下のバーからシェアしてよ。

 

書道不況とは言われているものの、そもそもとして書道がブームになったことはないというのが現状である。その中で、私はぴろぱる氏の持つ影響力というものに注目したい。麻雀やゲームをはじめVtuberからブームになるものは多い。今までそれらに興味がなかった層が、楽しそうに遊戯をするVtuberを見ることで興味を持つということが多く見られる。

そういったものと同じように、これから先もぴろぱる氏が楽しみながらバーチャル書家として活動を続けてくれるのであれば、それに感化される人たちも多くなっていくのではないだろうか。

Vtuberというものを通しての、今後の書道の発展と向上の可能性を私は大いに期待している。

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