MORYO通信 ~Urbs Communication~

本を読んで勝手にいろいろ言います

雨森小夜に感じる恐怖の正体 『幽談 著 京極夏彦』

初めて呪怨を見たとき、思わず笑ってしまった。

決して作品をバカにしているわけではないのだが、自分にはなぜだかコメディに写ってしまったのである。いわゆるジワジワ系のホラーを私は怖いと思えないのだ。傑作ホラーと名高い小野不由美先生の『残穢』もいまいち怖がることができなかった。

多分、自分と和ホラーの感覚はズレているんだと思う。

 

そんな私だが、きちんと恐怖心は持っている。そして、バーチャルYouTuberにも私の恐怖心をくすぐる人物がいる。

 

にじさんじ所属、雨森小夜氏である。

 

 

彼女は高校生で図書委員と放送部に所属し、いかにも文学少女、というような可愛らしい見た目をしている。しかしながらその配信内容は狂気を孕んでいることが多い。


ヤンデレる放送 舞元力一に出た話やらマイクのその後やら色々

 

この放送では、前回の配信でSuper Chat(投げ銭)をした方の名前を最初に読み上げるのだが、その方法が「ヤンデレになって皆さん(リスナー)の部屋に向かう途中、間違えた部屋の表札に名前を表示する」という、他の配信者とは一線を画すものとなっている。

そして読み上げが終わってから「皆さん」の部屋にたどり着くのだが、部屋に入れてもらえず、チェーンをかけて半分しか開いていないドアの隙間から顔をのぞかせたまま、『シャイニング』のお父さんさながらのスタイルで配信を行う。

さらに終盤はノック音とインターフォンを不規則に鳴らし続け、ヤンデレのセリフを織り交ぜながらBUMP OF CHICKEN『ラフ・メイカー』を歌うという、人狼なら初日釣り確定の狂人ムーヴを披露している。

 

これらの異常にも見える行動の一切が、ほとんど説明なく行われているのだ。

ほぼすべての行動に疑問符を持たされながらも、視聴者はただ配信を見ていることしかできない。理解ができない。でも、受け入れるしかない。

この「理解不能を受け入れることしかできない」ことへの漠然とした不安が、彼女に対する恐怖の根源であると私は考えている。

 

私が和ホラーを怖がれない理由は、説明ができてしまうからだ、と思う。ここでは昔不幸な事故があってその怨念が〜とか言われると、「なるほど悪霊の仕業なのね」と思って、それ以上の感想がなくなってしまう。

それに対して、なんの前触れもなくいきなり理解不能な事象が起こり、そのまま説明もなく終わる作品はものすごく怖い。説明のできないものに対して私は恐怖を抱くのだ。

 

そういった理解不能に物語が進行していく恐怖を描いた作品といえば、京極夏彦著『幽談』だろう。 

 

怪談ではない。幽談。「幽」という字は「幽か(かすか)」とも読める。広辞苑によると、「幽か」の項には「しかと認めにくいさま」とある。その通り『幽談』にも、物語の輪郭がぼやけていて、読み進めてもその正体がよくわからないような短編が多く収録されている。何かが壊れているのに、何の説明もなくストーリーは進む、終わる。とても、こわい。

特に『下の人』という、ベッドの下から誰かの声が聞こえる話などは、脳天が痺れるほど恐ろしい。

 

しかし、理解不能であることを見せつけるというだけならば、それは時に笑いにもなってしまう。昨年のM-1敗者復活戦で天竺鼠が披露したネタなどは、理解不能であることを笑いに転換していて、しかもこれがかなり面白く仕上がっているのだ。

 

では両者にはいったいどんな違いがあるのか。 

 

私なりに考えたのだが、『幽談』と小夜氏には、「静か」という共通項がある。この静けさが、恐怖の正体ではないだろうか。

 

皆さんも怖い場所を想像してみてほしい。トイレとか。夜道とか。神社とか。お寺とか。墓地とか。誰もいないトンネルとか。

 

どれもこれも、静かな場所だ。

 

京極先生は私が最も好きな作家なのだが、彼の作品はほとんどが静かな雰囲気を持っている。とにかく地の文の主張が無に近いのだ。

彼の文章はかなり特徴があるし、装飾は多い方なのでは? と思う方も多いかと思うが、その装飾があるからこその静けさなのだ。枯山水と同じようなもので、ただ砂を適当に撒いておくよりも整えておいた方が気品があって静かに感じるだろう。

 

また、小夜氏も見ていただければわかる通り、白い肌、黒髪、落ち着いた声……という、静かで、ミステリアスで、恐ろしげな雰囲気を作るにはもってこいの要素を兼ね備えている。

ほかにこの要素を持つキャラクターを並べてみると、『地獄少女』の閻魔あい、『Another』の見咲鳴、『XXXHOLiC』の壱原侑子……思えば、日本人が思い描く幽霊のイメージなんかドンピシャじゃないだろうか。

そして、すべてのキャラクターに共通して言えることは、静かな雰囲気を持っているということだ。

 

対して天竺鼠がネタを披露した際には、「今からお笑い芸人が面白いことをしてくれるんだ!」という風に、会場の雰囲気が盛り上がっていたと容易に想像できる。それに、本人たちも笑わせるために明るくふるまっているのだから、なおさらだ。こういった空気がなければ、彼らのシュールレアリスムな笑いも起きないであろう。

「中継ぎ投手だけ重力がなくなったら、空が中継ぎ投手だらけになるのになあ」なんていう面白ワードも、小夜氏がいつもの配信の中で言ったならば恐怖に変換されるはずだ。

 

ここまで小夜氏の持つ狂気と恐怖について語ってきたけれども、その狂気と恐怖は決して悪いものなんかではなく、彼女の大きな魅力である。これがあるからこそ、彼女は視聴者から大きな支持を得ていると言えるだろう。

小夜氏は今後もきっと、配信を通じて上質な恐怖を私たちに届けてくれるに違いない。

 

 

最後に、彼女の魅力は狂気だけではない、とお伝えしておきたい。

彼女も以前紹介した力一氏、京子氏と同様にロックフェス企画「にじロック」に参加している。その時の彼女に怖さはなく、全編を通してキュートな姿を見せてくれていた。

 

いろいろな側面を見せてくれる雨森小夜氏。彼女はいったいどこへ向かっていくのだろう。わからないから怖い。面白い。2020年、その動向に注目したいライバーの一人だ。

www.youtube.com

 

なお、京極先生はほかにも『旧談』『冥談』『眩談』『鬼談』『虚談』といった現代怪談シリーズを発表されているので、併せてチェックしていただきたい。

ところで「鵺の碑」はいつ発売されるんでしょうかね……

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